2011年10月2日日曜日

『終末のフール』 伊坂幸太郎

人の生死をテーマにした小説を読むのは非常におもしろいなぁと感じます。
その中でも、この『終末のフール』は、設定が新しいと感じました。設定とあらすじはこんな感じです。

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「八年後」に小惑星が衝突し、地球が滅亡する。その発表の後、世界は混乱し、自殺者は増え、秩序を失った世界は、強盗、放火、殺人などの犯罪が蔓延するようになった。
物語はそれから5年経ち、小康状態にある世界を舞台に展開される。とはいっても中心となるのは仙台の団地で、それぞれの住民が抱える苦悩や、余命3年の生き方を描き出す。
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自分の命があと8年だとしたら、どう行動するかっていうのは考えるのはすごく難しいと思います。
だからこそ短絡的に死を選ぶ人も数多くいた、との描写はすごく納得できるものですし、我を失った人々のせいで秩序が崩壊するのも理解できます。
でも伊坂さんが描きたかったのはそういう醜い部分だけではないはず。

自分は小説の書き方には全く詳しくないので、何という技法なのかはわかりませんが、多くの小説で使われている書き方があります。
特に短編小説で多用されるのかな。
前の話で出てきた登場人物を他の話でも客観的な立場で登場させ、小説をただの短編の集まりではなく1冊の統一され一貫性のある小説に仕立て上げるというもの。
今や普通すぎてもはや技法なのかどうかもよくわかりませんが、個人的にはこの書き方は好きです。劇団ひとりの「陰日向に咲く」でも使われていて、驚いた記憶があります。

現代の日本でも「人間関係が希薄になった(なりつつある)」というフレーズは頻繁に耳にします。この小説の中でも、地球滅亡の発表があった直後に人々は我を失い、全員が自己中心的に生きようとしたことで多くの犠牲者がでました。また、その自己中心さのせいで恋人を失ってしまった男の人の話もでてきました。ある意味教訓的な様にも思えます。
その一方で、登場人物の多くが死を目前にした結果、娘との関係を修復できたり、昔の友人に会おうと思ったり、さらには新しい出会いを見つけることができたりと、何かしら事態を好転させる事ができています。これって素晴らしいですよね。

さて、先ほど述べた「天丼技法」とでも言えば良いのでしょうか、これがこの小説の中では非常に良い働きをしていると思います。赤の他人でも、実は自分の世界に(一瞬だけでも)登場して何らかの印象を残していく。その一瞬のつながりでも見方によればかなり貴重なんじゃないか。死を前にしたらそういう繋がりも美しく思える。そういうのをこの技法のおかげでより強く感じる事ができました。

上に書いたことも含めて、伊坂さんが言いたかったのってやっぱり人間関係の部分だろうなと思います。ただ、これは「死を目前にする前に、希薄になった人間関係の大切さや美しさに気づいてほしい」って事ではないだろうか。そう思います。

最後の方で登場人物の回想で、彼の父の最期が描写されています。暴漢に襲われた警察官の父が息子にかけた言葉は

「頑張って、とにかく、生きろ」

すごく美しくて力強い、言葉だと思います。
自分も、今ある関係、前あった関係、未だ見ぬ出会いの素晴らしさを考えて、頑張って、生きていこうかなと思います。

終末のフール (集英社文庫)
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2 件のコメント:

  1. 最近「英語教育」に関する書籍しか読んでいないかったのですが、小説を読む大切さを改めて認識しました。Ninsoraさんの上記の解説を読むだけでも少し感動させられたので、本編をぜひ読んでみたくなりました。

    もしよろしければ今度貸していただけないでしょか。

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    1. Shunyaさん

      コメントありがとうございます。
      主観だらけの感想で申し訳ありません(>-<)笑

      部屋中探してみますので(笑)、読まれたらShunyaさんの感想も是非お聞かせください。

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